腰骨を立てるとは? | 臨済宗大本山 円覚寺icon_arrow-r_01icon_tryangleicon_searchicon_tellicon_downloadicon_new-windowic
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一瞬の遅疑もなく「それは常に腰骨を立てる人間にすることです」と答えます。この立腰を我が子にしつけることができたら、これこそ親として我が子への最大遺産と言えましょう。
しかしそれだけにまた容易ならぬことといえます。これは森信三先生の言葉です。森先生の言葉を紹介します。『立腰教育入門』から引用します。「われわれ人間が、真に主体の立った人間になる最も具体的な着手点は、結局常時、腰骨を立てつづける事の他にはないのである。」「古来この点を力説強調してきたのは禅であり、また武道をはじめ、もろもろの芸能の世界においても、すべてはまず「腰骨を立てる」ことを、根本第一義としないものはないと言ってよい。」「わたくしの「腰骨を立てる教育」は、われらの民族において古来東洋において伝統としてきた「道」の精髄を、今や国民の義務教育において、種子蒔きしようとするわけである。」「戦後の新教育が、おのおのの自主性・主体性の確立を意図しながら、解放の主張にしても、批判的精神の養成といっても、なるほど一面的にはそれぞれの意義はあるにしても、それらには決してキメ手と言いうるような確立性も、的確性もなかったと言ってよい。」「教育の真の眼目は、それぞれの一人一人が、真に主体的な人間になることと言わねばならぬ。しかし一人一人をして真に主体的にさせるという事は、実際には容易ならぬ難事といわねばなるまい。かくして教育の困難さとは、実はこの一点に極まるとさえ言えよう。」「「腰骨を立てる」ことによって、主体性確立の基盤を、いわば即身的な具体性において、固める必要があると考えるわけである。」「われわれ人間は、何よりもまず身心相即的存在だという点を押えてかかる必要がある。
即ち、この人間存在の根本規定からして、「心を立てようとしたら、まず身を起こせ」というわけである。」というのであります。「主体性の確立」ということは教育の上においても、人間として生きる上においても最も重要なことであります。臨済禅師が「随処に主となれば立処皆真なり」と言われたのも、いかなる場においても主体性を確立せよとのことにほかなりません。森先生は、
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